ニッポンの、オタクの夏

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 たいていの人間にとって夏とは、ただ暑いだけの季節だ。しかし、そのなかでも特に、傍目に見ればむしろ最低なのではないかというような人間ほど「最高の夏」というようなことを言う。最高の夏とはなんだろうか。旨い肉だろうか。涼しげな気分にさせてくれる、あるいはよりアツくさせてくれる音楽か、または単純に海、酒、そして最高の女……わからない……何も……。

 己に目を向けると、俺はなぜか昔から夏になると「海沿いの田舎の小高い山に建てられた病院に長く入院している病弱な幼馴染の女の子と、病院を抜け出して夕暮れの海で貝拾いをする」という幻想に取り憑かれる。オタクの文脈での「最高の夏」の概念はむしろこちらに近い。現実では見たこともない場所で、現実では見たこともない少女と、夏のひと時、二人だけの秘密を共有する。それがオタクにとっての最高の夏だ。

 ツイッターの暗く冷たい場所に「感傷マゾ」と自称する奇妙な集団が存在する。彼らの思考形態は「ノスタルジー」と「美少女の幻影」に支えられている。つまり、ギャルゲーのような、自らが体験し得なかった青春を妄想の中でシミュレートするのだ。似たような感性を持ちつつも「感傷マゾ」にノれないのは、彼らの様式があまりに徹底してメタ化しているからかもしれない。あり得なかった青春をネタにできるほど自分は大人になれていないということなのかもしれない。“それ”はまだ己の中で生々しく息づいている。

 ともあれ。夏をストレートにアクティヴに楽しめるウェイも、夏を要素に分解して一歩外から眺めて楽しむオタクも、みんな夏というただ暑いだけの季節になにがしかの魅力を感じている、あるいは感じようと努力している、夏が好きな人間でいたいという願望を有している、夏はアニメの中だけでいいしさっさと冬になれと思っている。なんだか自信がなくなってきたが、少なくない人間にとって夏は特別な季節なのだ。

 

 来年の夏は最高の夏になったらいいなぁ、と思う。