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では、その手は何のためにあるの?

現在

 小説が書けない。これを読んでいるほとんどの人は「小説書いてたんだ」という感想を抱くのではないかと思うが、小説を書いていたのである。ほんの一時期。掌編や、断片的なものはたまに書くが、長編と呼べるものを書き上げたことは一度しかない。

 それまで、ライトノベルをろくに読んだこともなかったのだが、平坂読の『ラノベ部』を読んで、ライトノベルならではの面白さというのを初めて知った。もともと中学生の頃からぼんやりと「小説家になりたい」とは思っていて、まあろくに書きもしないで夢ばかり見ていたらこのような有り様になってしまったわけだが、そろそろまともに一本書いてみようと、いっちょラノベでも書いてやろうと、そういうモチベーションを与えてくれた。正直に言って、半分ぐらいは「ラノベは他のジャンルに比べたら門戸が広いだろう」という打算もあった。

 なにしろ初めて書く長編だったし、手探り状態で書き進め、結局、未完というか尻切れとんぼのような形になってしまったものを、第一回このライトノベルがすごい!大賞*1に送った。一次選考は通過したが二次選考で落選。それをリライトしたものを同じ年のGA文庫大賞に送り、結果は同じく二次選考落ちだった。

 そしてそれ以降、今日に至るまで長編は一本たりとも書き上げていない。これを書いていて恐ろしくなったのだが、6年間、何もしていなかったということだ。

 6年間である。

 最初に「小説が書けない」と書いたが、なぜ書けないのかというと、書かないからである。これはワナビならば誰もが経験したことがあると思うが、いざ書き始めても、書いたそばから「なんでこんなつまらないものを書いているんだろう?」と自ら批評を始めてしまう。理想が高すぎるのだ。理想に近づくためには書くしかない。しかし理想とのギャップがあまりにも大きすぎて、書くのがつらくなってくる。そして書かなくなる。書かないでいると、理想はますます遠ざかっていく。

 小説を書くのは楽しい。とても楽しい。精神が研ぎ澄まされ、世界から音が消え、言葉を紡ぐだけの存在になる。掛け合いを書いているとどんどん気分が昂揚していく。いいフレーズが出てきたときなどは快感が走る。しかし、寝て起きて文書を立ち上げると、そこにはゴミしかない。この地獄に耐えられる者だけが、小説を書き上げることができる。「小説を書き上げる」という最低目標の達成に必要なのは才能でも知識でもなく、打たれ強さである。俺はとてつもなく打たれ弱い。あまりにも打たれ弱いので、打たれてもいないのに心が折れてしまった。

 打たれ弱さの他にもうひとつ、ろくに準備もせずに書き始めてしまうという悪い癖があって、これが途中で投げてしまう大きな原因であることは間違いない。少なくとも今年中に一本書き上げたいし、書けなければ終わりだと思っているので、次に書くときは一週間ぐらいみっちりとプロットを練ってから書き始めるという手法を採用したい。

 

 最後にもう一度だけ言うが、小説を書くのはとても、とても楽しいのだ。他には代えがたい楽しみなのだ。その楽しみを、くだらない理想主義や焦燥感に押し潰されるのは本当にもったいない。俺はまず「書かなきゃいけない」という思い込みをこそ捨てるべきなのかもしれない。

*1:栗山千明などを動員し、当時はそれなりに注目を集めたが現在は死にかけている