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大きな地震がきたって

過去

 あの日、俺は自宅から歩いて5分の場所にあるパチンコ屋でスロットをやっていた。

 何の機種をやっていたのかまでは憶えていないが、なんというか、めずらしく「出て」いた。2000枚ぐらいだっただろうか。等価交換の店であれば4万円ぐらいか。投資額も憶えていないが、まあなんにせよ勝っていた。当時、コンビニで夜勤をやっていたのだが、金さえあれば眠いのを我慢して昼間にスロットをやりに出かけた。つまり病気だったわけだ。有り余る(ように見えた)時間と限りある金、そしてそれらを配分することで生み出せたはずのありとあらゆる可能性をドブに捨てる。ギャンブルとはそういうものだ。俺はかけがえのない20代のほとんどすべてを、千円札とともに虚無に飲み込ませた。

 まあとにかく、その日も俺は死んだ魚のような目でドラムをくるくる回していたのだ。

 そして、地震が起きた。

 初めは、「お、けっこう大きいぞ」ぐらいにしか感じなかった。が、すぐにガタガタガタッと尋常ならぬ縦揺れに変わった。そのとき、俺がまずやったことは、台の上に積んであったメダルの箱を押さえることだった。客入りはまばらだったが、まあみんなだいたい同じことをしていたと思う。平日の昼間からパチンコ屋にいる人間なんてのはだいたい金の亡者なので、身の安全よりもあぶく銭を墓まで持っていくことを考えてしまうのだ。しかし揺れは収まらない。さすがに慌てて外に避難した。パチンコ屋の店員は、ろくに避難誘導もしなかった。

 裏口から駐車場に出ると、文字通り、地面が揺れていた。縦揺れは収まっていたが、まるで船に乗っているように、ぐらぐらと、自動販売機が、カーブミラーが、地面そのものが、いつまでも揺れている。ここにきてようやく、これは普通ではないと思い至った。後から逃げてきた客も、店員も、みなぽかんとした顔をしている。その時点ではまだ、これが死者・行方不明者合わせて2万人に届かんとする史上最悪レベルの自然災害になるなどとは、おそらく誰も思っていなかったことだろう。少なくともこの東京では。

 揺れが完全に収まるまで、何分間待っていただろうか。さすがに「こんなことしてる場合じゃない」という正常な危機感を覚える程度には人間性が回復し、それでもメダルの交換だけはきっちりと済ませてさっさと立ち去ることにした。大卒の非正規雇用者というだけで肩身が狭いのに、これで倒壊したパチンコ屋から死体が発見されでもしたら親が泣く。

 その後、俺がとった行動は不可解なものだった。歩いて20分ほどかかる中央線の駅に向かったのだ。特に用はなかったはずなのだが。しけた駅だが、それでも中央特快が停まる程度の駅。というか、国分寺駅である。当然のことながら、駅は騒然としていた。改札前の広い通路に、通常では考えられないぐらいの人がごった返していた。もちろん電車はすべて止まっている。俺は何をするでもなく、騒がしい人々の様子をぼんやりと眺め、それからまた歩いて家に帰った。歩いている途中、思い出したように母親の携帯に電話をかけた。こういうのを偽善者と言うんだろうな、と思いながら。

 

 その後のことは、特に説明することもないだろう。生き残った人々がそれぞれに体験したように、ここ東京においてもそれなりに非日常な日常が始まり、それは数ヶ月もの間続いた。バイトしている店には品物がまったく入ってこず、略奪の後のように棚がすっからかんになった。客は奪い合うように水を買っていった。計画停電が始まった。夏に、地震とは何の関係もなく死んだ祖母の遺体が家に運び込まれ、葬式の日まで安置された。停電により、灯りが点かず西日が差しこむだけの部屋で、母親が呟いた「このままじゃおばあちゃんが腐っちゃうよ」という言葉がひどく印象に残った。同じ年の間にもうひとりの祖母も死んだ。どちらの葬式でも、涙は一滴も出なかった。死ぬときはだいたいみんな一緒だな、という感想だけが残った。全身わけのわからない管に繋がれ、記憶が混濁し、指が曲がったまま動かなくなり、自らの力でものを食べることさえできなくなる。ただ引き延ばされただけの命の灯、それもやがて消滅する。人間は必ず死ぬ。死は誰にも等しく訪れる。しかし、縁のある人間に看取られて死ねる人間は少ない。看取るのが俺のような人間では浮かばれないだろうが。

 

 この話には意味も教訓もない。終わってみれば、特に震災とも関係がなかった。

 これは、俺はろくでもない不孝者なのだという、ただそれだけの話である。