2017

 ご存知の方もいるかと思うけど、2017年が終わった。

 2016年まで過去最低を更新する年が続いていたが、一旦底を打ったのか2017年は実のところそれほど悪くなかった。相変わらず働いていないが。

 まず、3月あたりに長らく離れていたバドミントンに復帰した。これは思いのほか大きくて、生活に良い影響を与えた。週に一度でも家族以外の人間とコミュニケーションをとる、それも普段ネットでやりとりしているのとはまったく別の種類の、要するに話の合わない人間と直接やりとりするのは、ここ数年一切使っていなかった脳の部分を使うみたいで疲れるが刺激にはなった。

 バドミントンには体力が必要なので、ジョギングをするようになった。これまでも、数ヶ月走って数ヶ月サボるというようなサイクルでやってきていたが、去年は週に2、3回のペースで継続して走れていた。まあこれは、先月あたりから寒さが本格化してきて怪しくなってきてはいるが……。

 寒いといえば、2017年は夏がなかった。2017年を良い年だったと言い切れない理由のひとつだ。日照時間が異様に少なく、特に8月が最悪だった。7月に大國魂神社のすもも祭にひとりで行ったのが唯一の夏らしいイベントだった。地球は猛省して今年はしっかりやってほしい。

 ひとつ前のエントリに書いたように、11月に手帳を買い、12月10日に某短編小説新人賞の〆切を書き込んだことで、本当に久しぶりに小説を書き上げることができた。公募に応募するのは実に7年ぶりだ。気が緩んで応募した次の日にあっさりツイッターに復帰し、一瞬で元の生活に戻ってしまったので、弾みがついたとは一概に言えないが、年末に次の短編の構想が浮かんで10分でプロットの作成を完了したので、これを土台に今月中に新たに短編を仕上げて同じ賞に応募したいと思っている。原稿用紙30枚程度ならばいつでも書ける、という意識が植え付けられたのは大きいような気がする。

 

 以上のような理由で、2017年は個人的にそれほど悪くない年だった。春先のバドミントンへの復帰が冬の小説執筆および新人賞への投稿という結果への布石になったのは明らかだ。世相はいよいよ暗いが、そんなのは知ったことではない。

 2018年の抱負とかは別に何もない。強いて言えば、目標は長編の執筆ということになる。何年も小説執筆をサボり、そもそも長編を書き上げたことが一回しかない自分には難しい作業となるだろうが、だからこそ目標に掲げなければならないし、しかし同時に焦らずやっていきたい。焦りは何も生まない。焦れば焦るほど何もできなくなる。去年までの5年あまりがそうだった。自らの現況を省みて焦るなというほうが無理なのだが、しかし焦ってはいけない。思考に囚われてはいけない。だから、自分は天才だと思うことにした。

 

 俺は天才だ。書けばその結果が出る。

 そういうつもりでやっていく。

買った手帳を自慢するだけのエントリ

 手帳を買った。買ったのは先週の日曜ですけど。

 年末らしく、吉祥寺のロフトでは大々的に手帳コーナーが設けられていて、「無職が手帳を……?」と自分でも訝しみつつ一時間ぐらいうろついた末に購入したものがこちらです。

 

f:id:azmzmzm:20171130161851j:plain

 はーーーかわいい!!!!!!

 下から見るか?

f:id:azmzmzm:20171130162135j:plain

 横から見るか?

f:id:azmzmzm:20171130162228j:plain

 

 ご覧の通り、まあまあデカいです。先に述べたように本来無職に手帳、というかスケジュール帳は必要のないものなので、日記帳としても使えるものを選びました。12月始まり(正確には11月27日始まり)のやつです。ツイッターをやめた代わりに日記でもつけるか……という思惑があったので、本当はすぐにでも使えるやつがよかったし、別の11月始まりの手帳で妥協しようかと一旦レジまで持っていきかけたのだが、たった一週間のために一年使うものを妥協するのはよくないと思い直した。これにしてよかった。カラバリも赤とか銀とかあったけど、紺地に金はスタンダードでもあるし、これがいちばん気に入った。オタクは紺地に金が好きなんですよ。

 日記は一応つけていて、19日から26日の分は別のノートにつけ、27日からようやくこの手帳を使い始めた。それはいいのだが今度は何で書くかという問題が浮上してきた。ボールペンが苦手なのでスタビロのポイント88という水性ペンで書いてみたのだが、かなり裏に透けていることに今日ようやく気づいたので素直に油性を使うことにする。やっぱり油だよ油。水はクソ。

 日記を書くだけなら日記帳、あるいは普通のノートでいいはずだが、日記帳やノートではなく手帳にしたのは、やはり「この生活を変えたい」という意識が働いたのだろうと思う。しなければならない予定はいまのところ皆無だが、この日(まで)にこれをしたいという予定を書き込むだけでも心持ちは変わってくる。そのはずだ。ところでコスタリカ人は「プラビーダ(素朴な人生を)!」という言葉を挨拶代わりによく口にするらしい。果たしてコスタリカ人は手帳でスケジュールを管理するだろうか?

 

ツイッターの代わりに日記を」と書いたところからもわかるように、先週の日曜の時点では長期的に、少なくとも数ヶ月単位でツイッターには戻らないつもりだったのだが、それはちょっと無理かなと思い始めた。どうせ戻るんだし。とはいえ、せっかく一旦ツイッターをやめたのだから、やめている間だけでも何か別のことに時間を使うべきだし、とりあえずそれが一区切りついたら戻ろうと思う。つまりは目標のレベルを下げたわけだけど、人間はそんなすぐに変わらない、況んや俺をや。変わらないことにかけてはさざれ石の巌なみの自信がある。それはこのブログをちょっとでも遡ってもらえればわかることだ。

果汁グミのぶどう味を食べてすぐホットのブラックコーヒーを飲むと烏龍茶みたいな味になる

 ツイッターのアカウントを消して一週間経った。禁断症状がすごい。

セブンイレブンマイケル・ジャクソンの「Rock With You」のクソダサアレンジを店内でかけるのを今すぐやめろ」とか、「光の渡辺美里、闇の戸川純」とか、「ドラマ『刑事ゆがみ』で執拗に描かれる神木隆之介くんの性欲」とか、ツイッターで咄嗟に言いたいことを言えないのがいちばんつらい。タイトルもそのひとつです。これだけはガチなので試してみてください。

 世界ふれあい街歩きを実況できないのもつらい。今週のバンクーバーは「経済的に豊かで戦争の火種もなく国土が広い国が最強」という感じだった。食べ歩きの案内人の自転車コーヒー屋のお兄さんが着ていたラルフローレンのライムグリーン色のポロシャツが最高にイカしていたので、来年の夏はあれに近いポロシャツを探して最高になろうと思う。

 

 そういえば昨日、文学フリマに初めて行ってみた。よく絡む、あるいは少しだけ絡んだことのある、またはまったく絡んだことのないツイッター文芸部の猛者どもにご挨拶できたのはよかった。なぜか、わが地元西国分寺シャレオツ喫茶店の雄、クルミドコーヒーが出張に来ていて、地元なのに一度も入ったことがないのでこの機会にと思いコーヒーを買い求めてみたが、作り置きを温め直しているだけだからなのか1ミリもおいしくなくて笑った。別に不味くもないけど家で適当に淹れてもあれぐらいの味にはなる。アイスコーヒーのほうがよかったかもしれない。文フリはブースで飯食っていいんですね。コミケコミティアよりなんとなく自由な雰囲気があった。入場料とらないし。しかし流通センターは端的に言って地の果てだな。旅行に行くわけでもないのに東京モノレールに乗るの虚しくないですか? なぜあの手のイベントはどれも地の果てで開催されるのか。立川市市民会館とかじゃ駄目なの?

 

 ツイッターをやめていると無限に言いたいことがある気がしていたけど実際そんなになかった。どうせ遠からず復帰します。アカウントの有効期限内に戻るか、それ以降に新しく作り直すかはまだ決めてません。HNも変えるかも。とはいえ文フリでも思ったけど、存外に「アレノアザミ」の通りが良いからどうしようかな……。

 

 

 そもそもこれ誰が読んでくれるんだ?

ニッポンの、オタクの夏

f:id:azmzmzm:20170810202537j:plain

 たいていの人間にとって夏とは、ただ暑いだけの季節だ。しかし、そのなかでも特に、傍目に見ればむしろ最低なのではないかというような人間ほど「最高の夏」というようなことを言う。最高の夏とはなんだろうか。旨い肉だろうか。涼しげな気分にさせてくれる、あるいはよりアツくさせてくれる音楽か、または単純に海、酒、そして最高の女……わからない……何も……。

 己に目を向けると、俺はなぜか昔から夏になると「海沿いの田舎の小高い山に建てられた病院に長く入院している病弱な幼馴染の女の子と、病院を抜け出して夕暮れの海で貝拾いをする」という幻想に取り憑かれる。オタクの文脈での「最高の夏」の概念はむしろこちらに近い。現実では見たこともない場所で、現実では見たこともない少女と、夏のひと時、二人だけの秘密を共有する。それがオタクにとっての最高の夏だ。

 ツイッターの暗く冷たい場所に「感傷マゾ」と自称する奇妙な集団が存在する。彼らの思考形態は「ノスタルジー」と「美少女の幻影」に支えられている。つまり、ギャルゲーのような、自らが体験し得なかった青春を妄想の中でシミュレートするのだ。似たような感性を持ちつつも「感傷マゾ」にノれないのは、彼らの様式があまりに徹底してメタ化しているからかもしれない。あり得なかった青春をネタにできるほど自分は大人になれていないということなのかもしれない。“それ”はまだ己の中で生々しく息づいている。

 ともあれ。夏をストレートにアクティヴに楽しめるウェイも、夏を要素に分解して一歩外から眺めて楽しむオタクも、みんな夏というただ暑いだけの季節になにがしかの魅力を感じている、あるいは感じようと努力している、夏が好きな人間でいたいという願望を有している、夏はアニメの中だけでいいしさっさと冬になれと思っている。なんだか自信がなくなってきたが、少なくない人間にとって夏は特別な季節なのだ。

 

 来年の夏は最高の夏になったらいいなぁ、と思う。

穴を埋める

 去年、台風で北海道のジャガイモ畑が壊滅的な被害を受けたというのはニュースで見ていたが、その時点では己の生活に何か影響が出るとは思っていなかった。だが、今年に入り、湖池屋カルビーなどの会社がいくつかの主力ポテトチップス商品の発売を中止するに至り、俺は事態の深刻さを初めて認識したのだった。

 そして現在、コンビニのスナック菓子棚では熾烈な椅子取りゲームが始まっている。最初に後釜に座ったのはビーノ。枝豆を主要原料としたスナック菓子の元祖で、ひょっとしたら個人的にはポテトチップスよりも好きなので喜んで買っていたのだが、たった三週間ほどで姿を消してしまった。そして入れ替わり立ち替わり現れては消えていく新商品。キャラメルコーンのクリームソーダ味は、東京ディズニーランドのソーダ味のポップコーンが好きな俺の琴線に触れたが、二週間で棚から消えた。俺しか買わなかったから追加発注をしなかったのだろう。今日は山芳のパインアメ味ポテトチップスなどという正気を失った商品を見た。試そうという気すら起きなかった。お菓子やペットボトル飲料に限ってはそれなりにゲテモノも好むが、別に不味いものが好きなわけではないのだ。

 そして今週から、棚の隅でひっそりと、しかし虎視眈々と次なる王座を狙っている存在がある。コーンポタージュである。これもなかなかに息の長い商品で、リスカというヤバい名前の会社から出ている。これも、ポテトチップスより好きなスナックなので、日の目を見ているいまのうちに可能な限り食べておこうと思う。

 

 ポテトチップスが抜けた穴をめぐる勢力争い。まるで空き地に生える雑草の移り変わりを見ているようだが、こんなことでもないとビーノやコーンポタージュといった準主役級のスナック菓子たちの存在を、それが好きだったことも思い出せなかっただろう。だって、普段はコンビニの棚に置いてさえいないのだ。ジャガイモ農家には悲劇だろうが、それが生み出した菓子棚の混乱は、消費者にとって悪いことばかりではなかろう。諸君、このひと時の混乱を楽しみたまえ。

 

 

 

(追記)みんなブログ更新してて偉いな~と思ったので、よっしゃ俺もいっちょ何かリリカルなやつ書いてやるか、と書き始めた。リリカル、向いてないのかもしれない。

雨が降っている

 雨が降っているのでブログを書きます。

 どうやら一年以上放置していたらしく、自分自身このブログの存在を完全に忘れていた。読み返してみると開設当初からしきりに「書くことがない」とか言っていて、それはこれを書いている今日この瞬間も変わりない。何も書くことがない。相変わらず小説が書けていない。仕事も見つかっていない、いや、もはや見つける気もない。アニメさえろくに観ていない。世界に向けて報告することが何もない。果たして、何もない人間が何かを書くということができるのだろうか?

 

 傘が嫌いだ。憎んでいるとさえ言っていい。

 まず片手が塞がる。これは心を失った人々が行き交う都市をサヴァイヴするのには致命的なディスアドバンテージだ。そして、ひとたび雨が止めばその瞬間にゴミと化す。加えて、すぐなくなるし、すぐ盗られる。雨の日、コンビニの入り口にこれ見よがしに傘立てが置いてあるのを見るたびに俺は苦々しい気持になる。さも「ここに傘を立てろ、床が濡れるから店内に持ち込むな」と言わんばかりの傘立て。よしわかった。ここに傘を立ててやるとしよう。それで、誰かに盗まれたら、あるいは悪気はなくとも間違えて持っていかれたら、お前らは責任をとってくれるのか? 人を馬鹿にするのも大概にしろ。

 何年か前、ツイッターの某フォロワーと会ったとき(その日は雨が降っていた。もちろん傘は差していなかった)、「傘差さないんですか?」と訊かれた(記憶が確かなら、その人も傘を差していなかったのだが)ので「傘が嫌いなんです」と言ったら、「それ面白いですね」と言われた。そうかもしれない。その日のことをたまに思い出し、そのたびに思うのだ。

 傘が嫌い。それだけが、俺という人間の唯一のユニークな点なのではないか?

 

 小説がすらすら書ければそれがいちばんいいんだけど、現状そうではない。ツイッター以外でこうしてまともに(まともか?)文章を書くのも何ヶ月ぶりかという有様だ。こんな文章を書くのさえ、実のところわりと苦労している。それでも、こうして人に読んでもらうことを意識して文章を書いたということに、ひとまずは意義を見出したい。

 今日は雨が降っていたので、傘について書くことができた。先にも書いた通り、傘については思うところがあるから。雨が止んだら、そのとき俺は何かが書けるのだろうか。ところで、書いている途中に夕飯の時間になったので夕飯を食べて戻ったら雨止んでたんですよ。ぶっ殺すぞ。

海も花火も夏祭りもアニメが全部やってくれる

 相変わらず特に書くこともないのだが、これ以上放置したら完全に廃墟になってしまうので更新する。

 今期は23本アニメを観てます。いままでのところ、『のんのんびより りぴーと』『城下町のダンデライオン』『監獄学園』『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ ツヴァイ ヘルツ!』が特に気に入ってます。のんのんびよりプリズマ☆イリヤが優れた作品であるのは、いまさらわざわざ言い立てるまでもない周知の事実だし、監獄学園は集まったスタッフ/キャストからして面白くならないわけがない。なので、今期の最も嬉しい出会いは城下町のダンデライオンです。いいですね。非常にいいです。

 城下町のダンデライオンは、異能の力を持つ血統でありこの国を統治する王家・櫻田家の三男六女の兄弟姉妹が、次期国王となるために選挙戦を戦ったり戦わなかったりする話なんですが、根底には常に家族愛があるのでまったくギスギスすることがないし、全員がそれぞれそれ単体でも国家を統べることができそうな異能を持っているのにどうでもいいことにしか使わないのも心が和みます。画作りや演出も全体に抑制されており、是非はともかくとしてパンツとかも映らない。絶対に映らない。どうやら茜様が世のオタクどもの欲望を一手に引き受けておられるようだが(そうなるだけのあらゆる要素がある)、他の女の子も全員かわいい。なんかもう本当にびっくりするほどみんなかわいい。しかし、一有権者として、誰か一人を選ばなければならないと考えた場合、奏様と栞様のどちらを選ぶか三日三晩悩み抜いた挙句に栞様に票を投じることになるのではないかと思う。幼稚園児に国家の未来を託すというのも一興ではないだろうかと思う昨今である。